「背信」 「背徳」
昭和五十四年二月二十八日 朝の御理解
御神訓 一、やれ痛やという心でありがたし 今みかげをという心になれよ。
やれ痛や ということは、しるしいことであり きつい事です。けど今こそおかげを頂く時だ、今こそ力を頂く時だと言う心になれよと ね。
痛い思い苦しい思いを致します時に神様におすがりをしますと同時に、それだけのめぐりの言うならお取り払い、天地に対する言うなら借金払いでも出来ておる時だと、「やれ痛や」だからその心で今のめぐりのお取り払いを頂いてありがたいと言う、そういう心になれよと。そういう例えば頂き方と同時に、やれ睡たや、やれきつやという時ですね。
朝参りでもこうやって行のように皆さんのようになさる方達は、あ々今日だんゆっくり寝たいという時もありましょう。または、夕べは遅かったからという時もありましょう。けれども、そのきついとか、眠いとかと思う時ほど、いわば力を受ける時だと思うてと言うのです。
もう昔でしたけれども、福岡共励会に私がお話に行っております時に、殆ど一晩中お話をしていて、まあ一番電車で帰って来よりましたが、それまで一寸時間があるからと思うて横にならせて頂いた。そしたらもう一番電車の音が。あらとうとう遅れた、だからもう遅なりついでによかよかといったような心が動く訳なんですね。そしたら三代金光様のお声で「神様が見ておいてでございます」と言うお言葉を頂いたです。もうびっくり仰天して二番電車で帰ったことがあります。
そういう例えば夕べが遅かった事も、今眠うしてこたえん事も神様が聞いておいでなんだ、見ておいでなんだ。だから見ておいでだと分からせて頂いた途端にシャンとした心が起こってくるね。はね起きる元気な心で次の信心にならせて頂く事が出来る。そういう時に言うならば、力を頂く時だ、言うならば「今みかげを」という時、今力を頂いておる時、今、お徳を受けておる時だと思うてと言うんですよね。
だからそれが段々身について参りますとです、その事もまた有難いのであり楽しいことであることにもなるし、また眠たいならば、ならちゃんと眠る時間の工夫も致します。夜更かしなんか致しません。見たいテレビも見ません。遊びごつなんかもしません。ちゃんと心がけて言うならば真面目な生き方が段々出来るようになるのです。
今日は御神前で「背信」という事を頂いた。信に背を向けるという事、「背徳」という事も申しますね、徳に背を向けるということ、「背信行為」と申しましょう、こうある事が本当だと分かっておりながらこうしないわけ、これは背信ですね。だからそれによってお徳を受ける修行であるならば、そのお徳を受けることに対して反対の心、背徳の言わばことになってくるのです。
どうでも信心に純粋さとか、真面目さが求められるのはそういうことだと思うですね。
不真面目では、言うならばお徳を受ける修行にはなれませんね。やはり合楽理念がいかに容易いと言うてもね、やろうと思えば誰でもやれると言うてもね不真面目な事では身に着きません、真面目さが要求されるわけですね。
二代金光様、四神様のみ教えの中に、ある人が「どういう信心をさせて頂いたらおかげ受けましょうか」というような意味の事をお伺いされたのに対してね、「良いことをすることより、悪いことをするな」とおっしゃったそうですね。
百のものが例えば九十九、なら良いことをしてもです、一つの悪いことをせん方がいいのだと。そんな人がありますよね、非常に金儲けの名人がおります。ところがまた使うとも名人。だから一つも残らん、というような事じゃないでしょうかね。
ぼちぼちじゃあるけれども、それを真面目にいわば貯めて貯蓄でもすると言う人もあります。どんなに素晴らしい目を見張るような信心が出来たり、修行が出来たり致します。
そりゃあもう荒行なら荒行にかけてはもうすさましい行をする人があります。そういう人に限ってもうスパーッと、いわゆる金光教でいう信心なんかは一遍に地に落としてしまう人があります。そりゃあもう断食どんさせたり水行でもさせたら、どんな寒中であろうが平気でやってのける人があるです。ところが言うなら心行が出来ない。その言うならば行状たるやもう本当にあれで信心しておるのかと言うのがあります。
せっかく信心修行させて頂いておる、ね。だから信心修行ではなくてですね、それに不の字がつく。言うならばどういう信心修行させて頂いておっても、その不行状な事を一回したらそれで崩れてしまう。だから良い事よりか悪い事を一つせん方がいいというふうに、四神様は教えられたんでしょうねぇ。いわゆる「背信行為」である。「背徳行為」である。徳に背を向ける生き方なんです。惜しいですね。私共が気がつかんなりにそれを平気でやっておった時代。お商売をさせてもらうね、十銭のものでも教祖様は八銭で売れとおっしゃるのにね、こちらは腕で売るのだ、だから十銭のものでん十二銭で売る、いわば自信がある。
私共はそういう商売をして来たようにあるです。言うなら今の酒屋さんはそんな事ありませんけども、昔の酒屋さんはどんな事でも技術さえあれば、言うなら腐った酒を腐っていないようにする手立てがございました。もう悪くなろうとする酒を、そこでピシッと腐敗せんようにする。言うなら手立てがありました。もうこれなんか思うてみてからぞっとするような、それこそ毒物になるようなものを使ってもう死にかかってる酒を殺してしまうんですよね。ですからもうそれ以上は悪くならん。だから酒の良さというものがなくなる。もう私共はそういう研究ばっかりしたんですよ、昔の揚げ酒屋というものは。三十度の焼酎を四十度で売るそういう工夫ばっかりをしたんですね。そしてから余分に儲けただけはお供えをすると言うようなことがあった。それで自分の心はプラスマイナス、もう何もひっかからんわけ、けども本当にプラスマイナス、プラスしたかと思うけどもマイナスになっておるからひとっつもお徳をうけてないから、結局、んなら私が商売でいよいよにっちもさっちも行かんようになったのはそういう事だと思うです。
しかしもうあ々いういろんな秘伝をね、覚えてる、知っている、皆に教えてやろうごたるけども、そげなことするとまた皆が悪かことするから、いかんから。それがねもう当り前のように思うとったですから、またそれが出来るのが良い酒屋さんだと思うとった。
本当に、もう本当にめぐりを作っとる。今の酒屋さんはそんな事出けんもん瓶詰めばっかりじゃからね。またそういう事せんでも今時はいいわけなんです。だから年期を入れなければ揚げ酒屋というものは出来ませんでしたが、今のご理解で言うと背信行為ですね。
自分の信心に、または信心の信に背向いた生き方ばかりをして来て、おかげいただきたいおかげ頂きたい、いやおかげは頂いても、お徳を受けられんという事が分かります。
せっかくお互い信心修行させて頂いてるのですから、でないとねそういう不行状な事を致しますとね、その不行状が次々に転嫁して来るんです。あれもあげなことしよるから俺もしたっちゃよかろうと言うごとなって来るんです ね。
そういう連鎖反応を起こす、良い方じゃなくて悪い方に、だから本当に「やれ痛や 今霊験をという心になれよ」とね。
本当にそういう意味で私が朝の時間を大切にせよということはね、朝の時間を大事にしないから、言うなら夜更かしやらをするんですね。そしてその夜更かしの中にはもう必ずと言ってよいほど背信行為を致します。せっかく信心をさせて頂いておるのですからね、言うならば真面目な生き方、真面目な修行ね、その修行もね一段一段積み上げて行けれるような修行、せっかく積み上げた修行をね、あっという間に壊してしまう、壊してしまうような背信行為がないように不行状な事がないように、すばらしい修行をしてもねその反面にです、不行状なことをしたらもうそれでおしまい。言うなら私の商売時代のようにね、随分人よりも儲かる手立てを知っておるから、儲かりもしましたけれども、いつのどこでか同じのことになっておるね。
教祖様が十銭の物は八銭で売れと言われるなら、素直にそういう生き方を身につけていって、儲かったのが本当の儲かりてある。これならばお徳を受けていく儲かり方なんです。
私はここで「心行」ということが言われる。もう表行は全廃である。心行ということ。「心の行」と言うのはそういういわば、背信行為、背徳行為がなくなってくる事のために心行しておると言うてもよいのです。徳を頂くために心行じゃなくって、徳に背を向けるようなことをしない事のために、心行があるという方が的確かも知れませんね。
今日は「やれ痛や 今霊験を」ね。今おかげを頂いておる、いまめぐりのお取り払いを頂いておると思うてありがたいと思えというようにいつも説かれます。だからそれもそうですけども、今日はそれともう一つのね、やれ睡やと言うような時にでもですね、はぁこういう時が力を受ける時なんだと思うておかげを頂かせてもらうね。
どんなに金儲けの名人であっても、使うことの名人になったら、もうせっかくの儲かりも儲かりにならない。それこそ紀伊国屋文左衛門ではいかん。昔でしたけどね私の母が頂きました、もう本当に私のことを頂いてくれておると思うてね、言うならばそれこそ金儲けが名人であってもね、一生一代の分限者でただ一生一代で終わってしまったでしょう。
こういう信心では惜しいです、これ程しのありがたい言うならばみ教えを日々頂いて合楽にご縁を頂いてそして合楽で修行をさせて頂いておるのですからね。それがもう確実に自分の中に貯って行ってはじめて確信というものが生まれてくるんですね。
その確信が一切をおかげにして行くのですね。どんなに言うならばね、人に与えるからと言うて石川五衛門やらネズミ小僧次郎吉ですかね、何かのようにね、貧民にいかにやるんだ、困った人にやるんだと言うてもやはり泥棒は泥棒ですからね。
私共は今日「背信」ということを頂いてから、せっかく信心をいわゆる前向きに進ませて頂いておるけれども、夜ともなったらストッと落としてしもうて、背信行為いをしておるような事はないだろうか。せっかくの昼の修行が水になってしまうような、消えてしまうような行為をしておるような事はないだろうか、どうでも朝の時間を大事にする生き方ね、そして夜はもうありがたしいっぱいで休ませて頂けれる信心を身につけたいと思いますね。
「十の良い事よりも一つの悪い事をするな」これは心行が本当に出来とらんと、それにそういう落とし穴に落ちてしまうんです人間は、弱いね。
いよいよそういうおかげを頂けれる為の心行でありたいと思うですね。
「どうぞ」